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劇場アニメ『イヴの時間』を観ました【感想】

 

こんにちは。

アニメ映画『イヴの時間』を観たので、感想を書きたいと思います。

 

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※以下ネタバレに注意してください。

 

イヴの時間』は、人型アンドロイドが社会で実用化されて間もない時代を描いたSFアニメです。

本作では、実用品としてのアンドロイド利用が社会で進む中、普段明かされることの少ない「ロボットの気持ち」に焦点をあてて物語が進みます。

 

ロボット三原則というものがあります。

第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。


出典:『われはロボット』アイザック・アシモフ著、小尾芙佐訳(1983年)

私も一度大学で聞いたことがあるような感じですが、もとはSF小説なんですね。初めて知りました。

作品世界ではこのロボット三原則を前提としてアンドロイドが運用されています。

 

本作では、通常時アンドロイドは人間の道具として振る舞いますが、イヴの時間店内ではあたかも心を持っているかのように振る舞います。

アンドロイドの心(精神)の有無については、作中では明かされていませんが、少なくともイヴの時間店内での振る舞いや会話をみるとシンギュラリティがあるように感じられます。

 

また本作では普及型や旧式、様々なタイプのアンドロイドが登場します。

それはロボット技術、情報技術の発展速度を表すとともに、人間や法律の受け入れ態勢がその速度に追いつけていないという問題提起にもつながります。

 

現在人工知能がブームとなり、私たちの社会に与える影響について議論される機会が増えてきました。

もし実用型アンドロイドが、人間にそっくりな高度な人工知能が一般家庭に普及したら、、、

そう考えたときに、私たちの社会はおそらくまだそれを受け入れる準備はできていないでしょう。

 

技術に支配される恐怖、技術に追いつかない法、技術への倫理、、、

技術の発展に追いつかず、社会が直面する課題はいくつもあります。特にアンドロイドはモノなのかヒトなのか。この作品を観るまで私は人工知能は道具だと考えていました。しかし、実際に人のように振る舞う存在が目の前に現れたとき、私はそれを単なる道具として扱うことはできないと思います。

 

この作品では、これから社会が直面するであろうこれらの課題を提起するとともに、人間とロボットの共存の可能性を示唆しているのではないでしょうか。