劇場アニメ『楽園追放』を観ました【感想】
こんにちは。
アニメ映画『楽園追放』を観たので、感想を書きたいと思います。
※以下ネタバレに注意してください。
『楽園追放』も少し前の作品になりますが、観よう観ようと思って結局いままで観る機会を逃していた作品です。
タイトル『楽園追放』は最初意味がよくわからなかったんですが、観ているうちにわかってきました。
本作のおそらくテーマの一つなのではないかと思いますが、私は楽園追放を観て「自由」について考えさせられました。
作中では序盤、ディーヴァのもたらす「肉体の檻からの解放」は人間を拡張し、人類を新たな段階に進めたことをある種の「自由」に位置付けていましたが、一方でメモリ容量の獲得のため「社会の奴隷」になってしまうというような否定もありました。
これは現代社会に対する風刺とも取れると思います。
身の周りのものがますます便利になっていく中、表面的にはできることが増え、自由になったつもりでも、それにより新たな枷を負い、技術に依存してしまう危険性をはらんでいます。
だからといってアナクロであることが必ずしも是ということではなく、そこにはまた別の制約があるということも語られています。
すなわち自由がある限り、制約もまた常にあるということでしょうか。
また作中では自己を獲得した人工知能、「フロンティアセッター」が描かれていました。これはいわゆるシンギュラリティというもので、人工知能などで知識の積み重ねの末に人間と同じ「精神」を宿す可能性があるという考え方です。
肉体の殻を捨てたディーヴァの住人に対し、最初から肉体の殻を持たない人工知能が精神を宿す、この二つの存在に違いはあるのでしょうか。
物語終盤にディンゴがフロンティアセッターを人間と呼びました。ディンゴは肉体が人間性の有無に対してさほど重要でないことを知っていたのだと思います。
その上であえて肉体の殻にこもり続けているディンゴはよっぽどの「高所恐怖症」なのでしょう。
余談ですが、エンディングでのディンゴとアンジェラは楽しそうでしたね。二人には幸せになってほしいと思いました。
それと外伝小説の方も今度読んでみようと思います。